日々是精進by馬人おぢさん

アラフォー、競馬をこよなく愛する量産型おっさんの日記です

江戸時代から続く由緒正しき和菓子屋を訪ねて…と昔の思い出話~蛸屋製菓(宮城県仙台市)

(※今回は、前々回のブログの続きになります。)

dreamonturf.hateblo.jp

 

陣中の閖上工場直売店さんを後にした自分は、その足で、長町方面へと向かった。

 

長町かぁ。そういや、この辺もしばらく来ていなかったなぁ。

何か面白いネタでも転がっていないもんかなぁ…。

………おー、そういえば、しばらくあっこの和菓子屋さんに寄っていなかったぞ。

久々に顔を出してみるとするか。

 

 

ふと、そのお店の存在を思い出して、やってきたのがこちらのお店である。

f:id:dreamonturf-h:20190202151808j:plain

↑画像では見切れてしまっているが、入り口の上に「蛸屋(たこや)」という屋号が燦然と輝いている(いや、実際はくすんでしまっているかもしれないが(笑))。

今の季節ならではの限定商品(「富貴豆(ふうきまめ)」や「わらびもち」)が入り口のガラス扉に貼られているのが、いかにも和菓子屋さんらしい。

 

 

さっそく、入り口の戸板をガラガラと開けて、店内へ。

 

「こんにちはー」

「はい、いらっしゃいませ…」

今にも消え入りそうな、静かでか細い女性の声が返ってくる。

今日は、女将さん(?)とおぼしき老齢の女性店員が一人いるだけのようだ。

 

f:id:dreamonturf-h:20190202152612j:plain

昼下がり、午後2時を少し回った頃とあって、ショーケースの中身は残り少ない。

とはいえ、もう売り切れてしまった商品はないようだ(ラッキー!)

 

この日、ケース内に並んでいたのは、この店の代名詞ともいえる「全勝餅」「すあま」「わらびもち」「豆大福」「大納言かのこ」「しそまき」「ごまもち」「栗まんじゅう」「きんつば」など。

 

子どもの頃から大好物の「すあま」のほか、目についた「豆大福」「きんつば」「栗まんじゅう」「全勝餅(色違いで2個)」を思うがままに購入する。大の男がひとりで食べるには多い気もしたが、少しでもお店にお金を落としていきたいという気持ちのほうが先行したので、この際、購入した数については気にしないことにした(笑)

 

先にお会計を済ませて、女将さんが菓子をパック詰めしている間、店内をしばし観察する。

 

f:id:dreamonturf-h:20190202152459j:plain

↑商品を詰める木箱(市外局番が書かれていないことから、まだ電話が珍しかった当時、昭和30~40年頃から使われているものであろうか)や、その昔、全国菓子博覧会で金牌を受賞した時にもらったと思われる賞状(?)、「蛸屋」の由緒が書かれた紙などを見ていると、昭和以前にタイムスリップしたような錯覚を覚える(笑)

 

f:id:dreamonturf-h:20190202155833j:plain

↑蛸屋の由緒を伝える紙だけ、アップにしてみました。

 

「菓子職 蛸屋

元禄11年奥州街道沿い(現南鍛冶町付近)にて開業と伝えられております(文献無)

屋号の由来は諸説あり、店印としての蛸の絵の幟(のぼり)から、また、その幟を見て殿様が屋号を蛸屋と名乗るがよいと言ったとか。その他、当時、菓子屋は菓子屋らしい屋号はだめ、魚屋は魚屋らしい屋号はだめ、といった定めがあったとも。

初代は忠吉。7代目まで同名。

明治になり、屋号がそのまま苗字となり、8代目 蛸 忠十郎が長町に移転、日露戦争時に発売の全勝餅は縁起物として世に知られ、大正六年には全国菓子博覧会にて金牌受賞、のちに日本橋にも出店。園遊会にも供せられる。

忠十郎の長男は死去、次男忠治が本家、三男忠太郎が分家として長町駅前に蛸屋を出店。その他長女が南町、五男正志が日本橋に蛸屋を出店。

本家は九代目忠治、十代目高明にて閉店。

分家忠太郎の三代目、蛸 秀樹が十一代目となります。(現在は長町駅前店のみ)」

原文ママ

 

※本家が閉店したことについては、街での噂(親、まちBBSなど)、伝聞の範囲ですが、少しだけ、その事情を知っているので後述したいと思います。 

 

f:id:dreamonturf-h:20190202155552j:plain

↑店の中央には、朱文字で染め抜かれた「全勝餅」ののれんがかかっている。

 

店内をあらかた見終えたところで、女将さんもちょうどパック詰めを終えて、ショーケース越しに商品が入った袋をスッと差し伸べてくれた。

 

「どうも、お待たせしました…」

 

商品を受け取る際に、思い切って、女将さんに声を掛けてみた。

「年が変わっても、またここ(蛸屋)のお菓子がいただけるのは、嬉しいですねぇ。

 久しぶりに買いに来ましたけど、ここだけは変わらない。

 また、春の彼岸になったら買いに来ますから、どうぞよろしく。」

 

「あら、そうでしたか…。また、お待ちしております…」

何とも弱々しい声で、商売っ気がない感じに映ったが、女将さんの顔にようやく少しだけ、笑みが浮かんだような気がした。

 

商品の入った袋を受け取って、自分は店を出た。

近年、再開発の波が激しく押し寄せてきているここ長町駅前で、いつまで「蛸屋」の屋号を拝み、その味を楽しむことができるのかな、と不安な気持ちに駆られながら…。

-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

で、自宅に持ち帰ってきたのが、こちらである。

 

f:id:dreamonturf-h:20190202163854j:plain

f:id:dreamonturf-h:20190202163925j:plain

↑包み紙のデザインは、おそらくずっと変わっていないのだろうなぁ。

 電話番号に市外局番が入っていないのが、時代を感じさせる。

 

f:id:dreamonturf-h:20190202165001j:plain

↑左上から、「すあま」「全勝餅(緑)」「きんつば

      「豆大福」「全勝餅(ピンク)」「栗まんじゅう」

 

「すあま」はモニモニとした弾力とほのかな甘みが、緑茶にピッタリ!

「豆大福」は豆の一粒一粒が味わい深く、その塩っ気と餡子の相性がピッタンコ!

きんつば」は、これ一個で和菓子を食べた!という満足感がある!

 

f:id:dreamonturf-h:20190202165556j:plain

「栗まんじゅう」の、この綺麗に焼き上げられた皮の照り具合ときたら、もう…!

一口でまるごと口にほおばり、その皮と中にゴロリと詰まった甘ァい栗の実と白あんとが混然一体になったときの美味しさたるや…、まさに珠玉の一品である。

 

f:id:dreamonturf-h:20190202171502j:plain

↑上に粉雪のように、葛の粉がまぶしてある「全勝餅」。

 たしか、「緑」にはこしあんが、「ピンク」には白あんがそれぞれ入っていたような…気がします(詳細を確認せずに食べてしまった、頼りないブログ主をお許しください(汗))

あっさりとした味わいで、飽きることなくいくらでも食べられそうな感じでしたよ。

 

なお、今回は和菓子を6個買って、お値段は810円(税込)でした。 

長町駅前のかど地(一等地)にお店を構えてて、これで商売が成り立っているのかと、今さらですが、すごーく心配になりました。

 

f:id:dreamonturf-h:20190202165937j:plain

お菓子を食べ終わった頃には、当然こうなりました…(笑)(もはや「お約束」)

 

春の彼岸になったら仙台市内にある菩提寺(父方)の墓参りに行く予定でいるので、そのときはまた蛸屋を訪れたいと思います。2ヶ月ぐらい先の話だけど、きっとあっという間なんでしょうねぇ…。

 

 

f:id:dreamonturf-h:20180428195136j:plain

本日の「たまにいくならこんなお店」

 

 

f:id:dreamonturf-h:20190202172320j:plain

蛸屋(たこや)製菓

住所:宮城県仙台市太白区長町5-2-2

電話番号:022-248-1646

営業時間:9:00~18:30 (定休日:日曜日、祝日)

 

「忠十郎の長男は死去、次男忠治が本家、三男忠太郎が分家として長町駅前に蛸屋を出店。その他長女が南町、五男正志が日本橋に蛸屋を出店。

本家は九代目忠治、十代目高明にて閉店。

分家忠太郎の三代目、蛸 秀樹が十一代目となります。(現在は長町駅前店のみ)」

 

先述した蛸屋の由緒書きにもあったとおり、本店は蛸屋の“分家筋”に当たる。

 

女将さんとおぼしき店員さんの商売っ気のなさが不安…と先ほどは書いてしまったが、肝心の和菓子の味は間違いなく「一級品」であり、この味を一個150円ほどで楽しめる長町周辺の住民はいいなぁ…と、うらやましく思ってしまう。

 

江戸時代から連綿と続く和菓子屋でありながら、そのつつましさから、いつまでも後世に語り継ぎたいなぁと思うのだが、まもなく平成の世が終わり、その後どうなるのか…、当事者ではないものの非常に気がかりである。

 

 

f:id:dreamonturf-h:20190202173635j:plain

↑長町三丁目(現「蛸屋製菓」から通りを400mほど北上した辺り)にあった、在りし日の「蛸屋老舗」。重厚感を感じる木造建築の建物が、丸ごとタイムスリップでもしてきたかのように、現代の商店街にドン!とそびえ立つ様はすごく印象的だった。

(ネット上で一生懸命探したが、建物が潰されてから既に30年近く経つため、蛸屋老舗の画像はこれぐらいしか見つけることができなかった。「ディスカバーたいはく」さん、画像を拝借させていただきます。)

 

(参考)

www.taihakumachikyo.org

 

…さて、ここからは昔話をしよう。

 

平成4年(1992年)に十代目の高明氏が急死したことで、蛸屋老舗のレシピの殆どが失われてしまった(後継されなかった)。

 

特に、店先のガラスと木材で組まれた簡素なケースに並んで売られていた自家製の「菓子パン」は独特の焼き上がりと食感で評判の味だった。(当時では珍しい「ぶどう酵母」を使ったパンだったのではないか?と言われているが、真実は闇の中である)

 

 

f:id:dreamonturf-h:20190202180751j:plain

↑画像のパンはイメージです。

ショーケースの中には、「あんパン」「クリームパン」「メロンパン」の定番の菓子パンのほか、ちょっと変わったところだと「レモンパン」など、常時7~8種類くらいの菓子パンが並んでいた記憶がある。

自分が小学生だった当時、月1~2回ぐらい通っていた耳鼻咽喉科や小児科がここ長町にあった関係で、診察が終わった後に、よく診察を我慢したという「ご褒美」の名のもと、蛸屋老舗でおやつの菓子パンを母親に買ってもらったことを思い出す。

 

 

本来11代目になるはずだった、10代目高明氏の息子さんや娘さんもいるにはいたが、当時はまだ子どもであり、とてもじゃないがお店を継げる状態ではなかったという話や、「蛸(たこ)」という独特の癖がある苗字ゆえに、その息子さんや娘さんが学校でいじめにあっており、自分の苗字に愛着が湧かず、むしろ疎(うと)ましい、家業の和菓子屋なんて嫌いだ!とすら思っていたらしい…という悲しい話を聞いたこともある。1980年代と言えば、コメディアンの「たこ八郎」氏がテレビで活躍しており、もしかすると、その影響も強かったのかもしれない。

※「たこ八郎」氏自身も宮城県仙台市の出身ではあるが、芸名は自宅近くの行き付けの居酒屋「たこきゅう」から採ったということなので、ここに出てきた「蛸屋」さんとは一切関係ない。悪しからず。

 

十代目(高明氏)の死去に伴う、長町三丁目の「蛸屋老舗」の急な閉店・廃業は、(長町周辺の)仙台市民に大きな驚きと動揺をもたらしたのは言うまでもない。

 

たらればの話になるが、蛸屋製菓の和菓子を食べるにつけ、10代目の高明氏がもう少し長生きしてくれていたら…、高明氏と一緒に菓子・パン作りに勤しむ職人さんがいて、レシピがちゃんと引き継がれていたら…、10代目の息子さん、娘さんがもう少し早く成長していたら…(家業を恨んでいたというので難しかったかもしれないが…)と、思わずにはいられないのである(泣)

 

人の移動により、残念ながらアラフォー以上の仙台市でも、あの「蛸屋老舗」の存在を覚えている人は少なくなってきている。

 

だが、お店がなくなって30年が経とうとする今でも、「蛸屋老舗」の菓子パンは日本一の味だったと考えているのは、きっと私だけではないだろう。

 

f:id:dreamonturf-h:20190202190644j:plain

↑おまけとして、お店を盛り上げるべく店先に貼られた、「似顔絵(誰だこれ?)」と「4コマ漫画」をば。

 こんな風に、お店(蛸屋)のことを大事に思ってくれる人が少しでも増えてくれたらいいなぁ、と思います。